ただですね、そういう論文があるというということは危険なんだ、という人たちも結構いらっしゃるのですけども、この点についてはいかがでしょうか?
そうですね、危険という論文が一つ出ると心配になるということはよく理解はします。
しかし、科学の世界では毎年100万以上の論文が出ているということが知られています。その100万の論文を分類すると、2つにわかれます。1つは新しい仮説を発表する論文。それが少数あって、ほとんどの論文はその仮説が正しいかどうかを検証する論文、とこういう2種類があります。
例えばラウンドアップに発がん性があるかないか、あるという仮説の論文があった。その後、検証する論文がたくさん出て、それを全部否定した。その結果、ラウンドアップには発がん性はない、という科学の世界のコンセンサスができたということがあります。そこにまた一つポッと「いや、ラウンドアップに発がん性があるよ」という論文が出てくると、科学の世界の人たちは、今までの検証の積み重ねから見て、あの論文はどこかがおかしい、間違っている、ということがすぐにピンときます。
しかし、メディアの世界やSNSの世界は、科学者がみんな「ラウンドアップに発がん性がない」と言っているところに一つ「発がん性がある」というのが出ると、「とても面白い」と「これはぜひ話題にしなくちゃいけない」と言って取り上げちゃうんですね。
そうすると世界中にそれが広がってしまうことになる。ですから、科学の世界のコンセンサスと、それから皆さんが話題にしたいことというのはこんなにかけ離れているというところが大きな問題であって、そこの違いを我々はきっちりと説明をする必要があるだろうというふうに思います。
よく理解できました。要するに、論文があるからと言って、それがすなわち科学的根拠を持っているものではないというふうに捉えてよろしいと。
そうですね。多数の論文の結論が正しいとし、多数の論文と全く違う一つがポンと出てきたときには「これはおかしいと思わないといけない」、そういうことだと思います。